蓮の花びら☆

  • 2016/04/05(火) 16:29:52

㈱ノウィングの「三日間集中コース」が、無事終了しました。

きつい三日間だったけど、終わってみればもっとやりこみたいという気持ちが沸き上がったくらい、感動的でした。私って意外とタフかも(;´∀`)

三日目、最終日の昨日のワークの中で、とても穏やかな私の過去世の一つに出会えました。

それは静かな山村の中の、藁ぶき屋根の小さな一軒家。

まだ14.5歳くらいの私は、膝までの着物に、手拭いでほっかむりをして忙しく立ち働いています。

そこに大人はいなくて、(男衆は働きに行っていて)、外では小さい子供たちがわらわらと遊んでいて、私はその子たちの面倒を見ていなくてはなりません。

家に入ると、とても整然としていて、土間の火も使っているような形跡もないくらい片付いて、きれいになっています。

講師から、鏡があれば自分の顔を見てください。どんな顔をしていますか?との誘導に、鏡を探しましたが、目に見えるところにはありません。


というか、奥に行けば鏡があるのはわかっているのですが、そこに足を踏み入れてはいけないと、なぜか私はとても惧れをもっていて、自分の顔を見ることはできませんでした。

次に、晩年のイメージの中で、年を取った私はとても穏やかにしています。

死に向かう時でさえ、とてもいい人生だったと思い、周りの人に感謝をし、あちらの世界に入るのを楽しみにさえしながら死んでいくのです。

そこに蓮の花が出てきて、私の人生の一つ一つが蓮の花びらで、その1枚が出来上がったのが今回の人生でした。

その時、そうだったのか、と、私は理解したのです。

苦しい人生だったとしても、目を覆いたくなるような人生だったとしても、

今回のように、とても穏やかな人生だったとしても、

その人生の一つ一つが、一つの茎(魂・あるいはスピリット)に咲く花びらなんだと。

私は、幸せも、苦しみもあってこそ、咲く花であったと。

よく江原啓之さんが、自分の人生や自分の親は自分で選んで生まれてくるんですよ。

楽しむことや苦しいこと、悲しいことも、それを体験するために生まれてくるんですよ、とおっしゃっていて、

苦しいことや悲しいことは体験したくないんだけどなあ、、、なんて単純に思っていたけれど、

そうか、そういうことだったのか!とふと理解することができました。

だからね、

いま、最悪な環境やいや~なやつがいたって、それは自分の人生を彩る登場人物の役割をしていて、

その苦しみで私のスピリットは磨かれて、より美しい花びらの一枚になるんだって、素直に思えました(#^^#)

そういう自分だって、誰かの魂を磨く研磨剤になってるんだろうしね。

このコースの全国からきている受講生は、それぞれが過去世でご縁のあった人たちで、

たまたま二日目に隣どうしの席に座り、一緒にワークをし、息も絶え絶えになってぐったりした私を受け止めてくれた男性の受講生は、

後ろから支えてもらった瞬間、「あ!わたしのおかあさんだった!?」と思わず解ったし、

三日目にペアを組んだ主婦の方は、お互いの目を見るワークで、「私の子供だったよね!?そのあまりにも純粋でまっすぐな目で私をいつも見るから、私、あなたの視線から逃げたくなったことがある」と言ったら、

彼女も「わたしのおかあさんだ」と思ったと、告白してくれました。なんかね、相思相愛になった気分

このコースが終わって皆さんとラインを交換するのに、初めてフルフルもやっちゃったし(#^^#)

すごく濃密な時間を過ごすことができました。

それにしても、ヒプノで見た穏やかな人生の中で、なぜ大人の登場人物がいなかったんだろう?

なぜ奥の部屋に足を踏み入れて鏡を見ることを恐れていたのだろう?と考えていたら、

今朝、早起きした瞬間にふとわかりました。

あの家は、人が住まう家ではなく、お社だった。そこにお仕えしている私は下働きをしている巫女。

そして奥の部屋は神域で、決して立ち入ってはならない場所でした。

そして神様は、天照大神。本当に私は怖れていて、怖かったですよ(^-^;








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